こんにちわ!ゴム長どんです。
震災後、ちょうど1ヶ月後・・・
ワケあって、会社からお休みをいただき
宮城県石巻市へ行ってきました。
ゴム長どんが初めてこの土地を訪れたのは4年前。
聞きなれぬ日本語が飛び交う中、商店街に並ぶ
漫画キャラの像や
魚屋さんの工場街、
大きな製紙工場の煙やサイロとおぼしき巨大な建造物、
若い家族が多く暮らすという住宅街、
不思議な形の漫画館、
サン・ファンなんとか...という帆船、
見慣れぬ光景にワクワクしたものだった。
でも、
3月11日に発生したあの震災以来
あのワクワクした街並は消えてしまいました。
高速道路を降りてから車を走らせた道路は亀裂だらけで
たまにぼこぼこと盛り上がっているところがあったり、
へこんだところがあったり、
マンホールが飛び出しているところがあったりとても危ない。
時折、営業しているコンビニを見かけたら
「地元のものを食って社会貢献!」と買い食い。
到着は夜になった。
そのまま宿泊予定の親戚のおうちにお邪魔した。
ほんとに震災あったのかな?
というぐらい暖かくて普通だったけれど
お水は出ないし大きなこけしは
ひっくり返ったままでした。
(余震ですぐ倒れるからだろうか???確認しなかったけど)
小さく小刻みに突き上げるような揺れを感じながら夜を過ごし
(危機感なく寝た)、翌朝最初に目にしたのは
大きな総合運動公園に野営している
自衛隊キャンプとレスキューキャンプでした。
自衛隊のでっかいトラックっぽい乗り物や
ぐるんぐるん回転するでっかいパラボナアンテナがのっかった車、
給水タンクらしきものを装備した車など
普段見慣れない車がたくさん目に入り、
不謹慎だがどきどきしてしまった・・・
そこで、なんとびっくり感動!!
北海道のレスキュー一行じゃないですか!
苫小牧、士別、旭川、函館、石狩、北見・・・
同じ北海道民がゴム長どんが訪れたこの地で活動していることが
とても嬉しかったよ。
そこから少し車を走らせてゆくと、目に入ったのは
瓦礫とゴミ、汚泥が道の両脇にこんもりと詰まれた様子。
渋滞する自動車。
時折すれ違う自衛隊カー、
工事関係の重機を積んだ車。
他県№の黒猫さんや飛脚さん。
チャリンコで駆け抜けるマスク姿の女子高生。
人生歩み始めて数十年・・・ここは日本の公道なのだろうか?
さらに街中に向かってゆくと、
こんなところまで津波が来たのかと驚いた。
ここにあったお店はどこへ?
川っぷちに乗り上げた船、船、船。
半分沈んだ車。
散乱する魚網や浮き。
ロボコンが居なくなった漫画館。
ひっくり返っている見覚えある社名のトラック。
泥だらけの家屋や店舗。
池になっている道路。
傾き、ゴミとおぼしきものが絡み付いた電柱。
大きな車が数台突っ込んでいるGS。
ひっくり返っている墓石。
鉄骨がむき出しになった建物。
折れて原型をとどめていない看板。
舞い続ける埃。
点かない信号機。
無言で車の外を見ていた。
カメラを向けることができないぐらい変わってしまっている。
花見スポットで市内を一望できるという日和山へむかうと、
その道のりはさすがに山なだけあって目だった損壊は見られない。
いつもと違うのは
他県名のゼッケンをつけた2人組みが
一軒一軒訪ねながらうろうろしていたり、
他県のガス会社が道路のあちこちをし工事ていること。
今日はお天気がよいので向こうまでよくみえそうだな、って
見下ろした街は
ゴム長どんが知らない街だった。
ここは石巻か?
緑鮮やかな木々の間からは焼け野原が広がっていた。
フォームの始まりフォームの終わ
空襲?
時折、土の上に描かれた線をたどるように
埃を舞い立たせながら車らしきものが通行していた。
何かを探すように動く人の姿も見えた。
唯、唯 手を合わせ、こぼれそうな涙をぬぐう。
たくさんの命と
そこで生きる糧、
ご先祖からの大切な土地や建物、
皆に愛されていた町並み・・・すべてが
あの震災で失われてしまったのだ。
神様っているのだろうか?
そんな思いで日和山をあとにしました。
お気に入りの漫画館付近(在りし日)
震災後の漫画館付近(震災一ヵ月後)
この街以外にもたくさんの町や集落は消えてしまった。
目を背けてはいけない現実なのだ。
ゴム長どんには帰る家も、家族も仲間も居る。
だからこそ、普通に暮らして復興への歩みを支えるひとりとして
しっかりしなきゃなっ
さてさて・・・
ウチの会社もお世話になっている会社がいっぱいある
魚市場付近・・・魚町はどうなっているのだろう?
ウワサでは市場に船が突っ込んでいるとか聞いていた。
どきどき。
魚町へ続く道のりの家屋は防波堤と松林のおかげなのか、
全損ではあるが建物の形をとどめつつも
家の中のモノは何にもなかった。(津波が通過したと思われる)
民家のほかに保育園や老人介護施設もあったようだけど
津波が押し寄せた跡が見える。
※ この辺りはお住まいの方々に申し訳ないので写真は撮りませんでした
じき、魚町に到着。
魚町もすっかり違う姿になっちゃった。
営業冷蔵庫や大きな水産工場が多かったためか
鉄筋だけはしっかり残っている建物は多かったけれど、
ほとんどの建物のの壁は突き破られて
冷凍保管されていたはずの発泡箱がびっしりと見えた。
車に乗っていても魚の腐敗と油によるスゴイ臭気が鼻を突く。
焼きサバ定食がおいしかった食堂や
聞いたことのある会社社屋はぐしゃぐしゃ。
あの有名なくじら大和煮の巨大オブジェもあるべき場所から流され
ごろん、と転がっている。
何度か見に行った市場の前は沈下の影響なのか巨大な池が。

向こうにはでっかい漁船が二艘も重なって建物を押しつぶしている。
ヘドロかきやゴミ整理、敷地内の清掃など
一生懸命復旧作業をされていました。
先が見えない中、希望をもって作業をされているのだと心強くも思った。
そして、早く、この三陸で育った魚を
この市場から、この街から、
全国の皆様におとどけしてほしい・・・!と願うゴム長どんでした。
その3へ続く
津波直後から道がが寸断され、しばらく状況がわからず
報道も入らなかったという女川へも行ってみることにした。インターネットやテレビでも
チラチラと情報や画像は入手していたので、
覚悟を決めて向かったのだが
そこへ向かう道のりは以外と普通。
(でも付近のコンビニで販売している飲料はビールだけでしたが)
万石浦といって、湾の中にさらに湾になった場所で 「平和だね」そんなことが言えちゃうぐらい穏やかな景色だ。 本当にあの画像のような状況なのだろうか?と思っていた。 ひとつ坂を越えていきなりとびこんできた光景に 背筋が凍り、息をのんだ。 「地獄」以外の何者でもない。
比較的被害が少なかった場所らしい。
震災直後はどれだけ恐ろしい光景だったのだろう。想像もできない。
呼吸が出来なかった。
こみ上げてくる悲しみと絶望感でいっぱいになってしまった。
震災後、自衛隊によって瓦礫を撤去された1本の道路には
1週間前にようやく設置されたという真新しい電柱が並び
その殺伐とした光景にはそぐわなかった。
道端には誰かが見つけ、その場に置かれたままであろう写真や
可愛らしい人形、食器や家具などが散乱したまま。
あの揺れが、あの波が来るまでは
確かにここに「生活」の息吹があったのだ。
お取引先の工場があったはずの場所はすでに瓦礫すら撤去され
何もない。基礎がのこっているだけ。
大きな大手水産会社の加工場があったと思われる建物は
壁はなくなり、鉄骨がむき出しに。
まだ自衛隊さんが手作業で片付けをしていた。
聞くところによると
手作業で片付けている場合はまだ不明者を探しているのだとか...
ご遺体がないことを確認して重機での撤去となるそうだ。
胸が締め付けられる。
とてもじゃないけれど・・・写真は撮れませんでした。
高台にある町立の病院へ。
ここは標高15メートルの高台。
ようやく、周りの人たちにまぎれて
震える手を抑えながら少しだけ
女川町の様子を写真に収めることができた。
この高台にあるこの病院も1階天井まで浸水したそうで、
近くには女川町消防団と書かれた小さな消防車が横たわっていた。
ふと足元を見ると避難通路が見える。
ゴム長どんが佇むこの場所ですら、
非難してきた車や人がみんな流されたというのに・・・
この通路は役に立ったのだろうか?
どうしようもない虚脱感のまま花を手向け
唯々手をあわせ津波を怨むしかなかった。
この次にこの土地をいつ見ることができるのかはわからないけれど、
少しでも復興していてくれることを願うばかりです。
いい報告をしたいものだ。