津波直後から道がが寸断され、しばらく状況がわからず
報道も入らなかったという女川へも行ってみることにした。インターネットやテレビでも
チラチラと情報や画像は入手していたので、
覚悟を決めて向かったのだが
そこへ向かう道のりは以外と普通。
(でも付近のコンビニで販売している飲料はビールだけでしたが)
万石浦といって、湾の中にさらに湾になった場所で 「平和だね」そんなことが言えちゃうぐらい穏やかな景色だ。 本当にあの画像のような状況なのだろうか?と思っていた。 ひとつ坂を越えていきなりとびこんできた光景に 背筋が凍り、息をのんだ。 「地獄」以外の何者でもない。
比較的被害が少なかった場所らしい。
震災直後はどれだけ恐ろしい光景だったのだろう。想像もできない。
呼吸が出来なかった。
こみ上げてくる悲しみと絶望感でいっぱいになってしまった。
震災後、自衛隊によって瓦礫を撤去された1本の道路には
1週間前にようやく設置されたという真新しい電柱が並び
その殺伐とした光景にはそぐわなかった。
道端には誰かが見つけ、その場に置かれたままであろう写真や
可愛らしい人形、食器や家具などが散乱したまま。
あの揺れが、あの波が来るまでは
確かにここに「生活」の息吹があったのだ。
お取引先の工場があったはずの場所はすでに瓦礫すら撤去され
何もない。基礎がのこっているだけ。
大きな大手水産会社の加工場があったと思われる建物は
壁はなくなり、鉄骨がむき出しに。
まだ自衛隊さんが手作業で片付けをしていた。
聞くところによると
手作業で片付けている場合はまだ不明者を探しているのだとか...
ご遺体がないことを確認して重機での撤去となるそうだ。
胸が締め付けられる。
とてもじゃないけれど・・・写真は撮れませんでした。
高台にある町立の病院へ。
ここは標高15メートルの高台。
ようやく、周りの人たちにまぎれて
震える手を抑えながら少しだけ
女川町の様子を写真に収めることができた。
この高台にあるこの病院も1階天井まで浸水したそうで、
近くには女川町消防団と書かれた小さな消防車が横たわっていた。
ふと足元を見ると避難通路が見える。
ゴム長どんが佇むこの場所ですら、
非難してきた車や人がみんな流されたというのに・・・
この通路は役に立ったのだろうか?
どうしようもない虚脱感のまま花を手向け
唯々手をあわせ津波を怨むしかなかった。
この次にこの土地をいつ見ることができるのかはわからないけれど、
少しでも復興していてくれることを願うばかりです。
いい報告をしたいものだ。







